東京都港区赤羽

 港区は23区の中心に位置し、東は東京湾と中央区、西は渋谷区、南は品川区、北は千代田区・新宿区に接しています。区の中央部を古川が東流して東京湾に入ります。東京タワー、増上寺、泉岳寺、各国の大使館、世界貿易センタービル等の高層ビルが建ち並んでいます。
 江戸時代に薩摩、大隅、日向国薩摩藩など大名屋敷が多く置かれました。港区三田一丁目内に、港区立赤羽小学校と港区立赤羽幼稚園、古川の流れる交差点に赤羽橋があります。

大門 三解脱門 大殿・本堂
 徳川家の菩提寺、浄土宗大本山三縁山広度院増上寺です。三解脱門は国の重要文化財です。
 梅の花の咲くころに訪れました。

鐘楼堂
 歌川広重は浮世絵「名所江戸百景 増上寺塔赤羽根」で、増上寺の赤塗りの五重の塔から芝・三田方面を見た構図で、古川、赤羽橋、筑後久留米城主有馬中務大輔の屋敷を描いています。

 芝公園の梅林、「梅まつり」です。
 梅は、万葉集にも多く詠まれ、日本人に最も好まれる花木の一つです。梅のいい香りが漂っていました。約70本の白梅・紅梅は、江戸時代から新宿角筈にあった「銀世界」と呼ばれた梅林を、明治41〜42年頃に移植したという由緒があります。メジロが梅の花の間を飛び回っていました。
 「梅まつり」では、裏千家の野点や生田流の琴演奏などのイベントが開催され賑わっていました。

 芝公園に隣接している芝東照宮では「梅祭り」が開催されていました。参拝をしたあとで、抹茶・茶菓子をご馳走になりました。奉納の踊りが披露されています。

 芝丸山古墳は、東京都港区芝公園内にある前方後円墳で、都心で一番の大きさです。
 伊能忠敬測量偉功表の碑もありました。忠敬はここで測量の予行練習をしたそうです。

 東京都港区三田、慶応義塾大学の向い、和菓子の秋色庵大坂家は、大阪から江戸に移り、元禄年間に創業して300年以上の歴史があります。文化文政期の江戸ガイドブック「江戸買物独案内」に載っている老舗です。秋色最中と秋色羊羹が人気の店です。

 BSNHKのパン旅で港区のパン屋さんを見つけました。 地下鉄大江戸線「赤羽橋」駅から徒歩で5分ほどの人気のパン屋さん、ブーランジュリー・コメットです。
 店主はパリのパン屋での勤務や、ヨーロッパでの経験をベースにパンを作っていました。ハード系のシンプルなパンですが、中のもっちりとした食感と少し酸味のある風味が美味しいです。
 バゲット、コメット1/4、チャパタ サンドイッチ、サクリスタン、レモンのショーソン、タルトレット、クロワッサンなど。美味しかったです。

 港区三田一丁目東京都済生会中央病院の向い、赤羽橋の近くの新橋ベーカリーで昼食をいただきました。パンを販売している奥にイートインのスペースがあります。
 ボローニャ サンドウィッチに、濃い目のローストで美味しいコーヒーをいただきました。
 ここのパンは、精養軒、東京會舘、ホテル、レストランなどに納められています。

 フジテレビ、レインボーブリッジが並ぶ臨海副都心エリアは、東京都港区にあります。人工の砂浜や展望台のある、お台場海浜公園です。黒船が来航した時に、砲台を築造した台場公園があります。
 「自由の女神像」は、フランス、パリ市セーヌ川のシーニュ島に1889年に設置された「自由の女神像」から型取りされ、2000年12月22日に設置されました。

 穏やかな海で、穏やかな時が過ぎていきます。

 現在の三田一丁目の芝赤羽町(あかばねちょう)一帯は、筑後久留米藩有馬中務大輔の上屋敷の跡地でした。猫三大話と言われた有馬の猫騒動も、お家騒動の一こまです。
 安産の神として親しまれている日本橋の水天宮は明治の初めの頃まで、芝赤羽の久留米藩有馬家の上屋敷内にありました。歌川広重が「江戸名所 赤羽祢水天宮」、「江戸名所之内 芝赤羽根 水天宮」、「江戸名所 赤羽根水天宮」を描いていました。
 芝赤羽町(東京専売病院〜東京都済生会中央病院〜三田国際ビル〜三田台郵便局までの一角)は、明治5年有馬家の跡地に町を起立し芝赤羽町としました。
 町名の由来は、赤羽橋からとも赤羽川(今の古川)に沿っているからとも言われています。
 昭和42年、住居表示の実施によって赤羽町は無くなり、三田一丁目になりました。

港区立赤羽小学校と港区立赤羽幼稚園
 有馬家の屋敷跡の敷地の大部分は、「有馬ガ原」と呼ばれる空き地で、樹木や雑草が生い茂りうっそうとしていました。明治の世になって海軍造兵廠となりました。そして、大正の始めに今の東京都済生会中央病院が建てられました。
 都立三田高等学校のある辺りは、「有馬ガ池」があって近所の子供達の釣り場に好適地だったそうです。大正11年に都立三田高等学校が出来、大正15年には港区立赤羽小学校が出来ました。

 赤羽根の地名の由来は、赤埴(あかはに)からきています。(再校江戸砂子温故名跡誌)
 「赤羽」と書いて「あかばね」と読みます。

 赤羽橋の名称は古く、1846(弘化3年)年の「御府内場末往還其外沿革図書」にも記載されています。赤羽橋は、新堀川・赤羽川に架かる橋です。赤羽根橋とも書かれました。

バス停赤羽橋駅前 古川 
 都営地下鉄「大江戸」線が開通後、バス停の名称は「赤羽橋駅前」と変わりました。それまでは「赤羽橋」でした。芝赤羽町北岸は赤羽河岸といわれました

 古川はその昔……渋谷村に沿う渋谷川が、下流では芝赤羽のそばを流れていたので赤羽川と言われていました。その後、白金御殿造営ののち麻布四ノ橋あたりまで潮入りとなったことから、今でも新堀川と呼ばれていたり、その上流を古川とよんでました。
 現在の古川は、上を首都高速環状線が通り日当りが悪く、都市部の多くの川と同様に生物が住みにくい環境です。それは、人間にとっても全く同じ事なんですが残念でなりません。

参考文献
 角川書店 日本地名大辞典 東京都
 兜ス凡社 日本歴史地名体系 東京都の地名
東京都港区 近代沿革図集 芝・三田・芝浦
港区赤羽小学校PTA発行「あかばね」創立三十周年記念号

訪れた日 1996/08/15 1999/08/18 2013/02/12・02/23・05/09 2015/02/21 2016/02/09
2017/02/14

港区役所 〒105-8511 東京都港区芝公園1-5-25 TEL 03-3578-2111

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